恋と呼ばずに何と呼ぶ

主にKAT-TUNについてひたすら話すだけのブログ

四季彩ある貴方は美しい -上田ソロカンタービレに寄せて-

例えば、二度と会えないと思っていた人に会えたとしたら、どんな感情を抱くだろうか。
例えば、二度と聞けないと思っていた声が聞こえてきたとしたら、どんな感情になるんだろうか。



KAT-TUN最新アルバム「Honey」に収録されている上田竜也さんのソロ曲「カンタービレ」を聞きながら、私は今この文章を打っている。
私はどこにでもいる上田担だ。上田さんの歌声に恋をして気が付けば16年の月日が経っている。
普段から上田さんの歌声のここが好きだな、この発音や発声が好きだな、と思いながら日々を過ごしている。ありふれた上田担だ。

私は上田さんの歌声が一等好きだ。
決して深くはない歌声が、甘くて細くて澄んだ綿菓子のような歌声がとても好きだ。
時期や楽曲によって発音や発声ごとガラリと変化する歌声が好きだ。

特に"甘栗期"*1と呼ばれる時代の歌声は特別な感情を抱くほど好きだ。
あの頃だけのいつもよりも甘い発音も意図的な舌足らずも。
甘い容姿に寄せた、あの歌声が。
そして、好きであると同時に、「もう二度と聞けない歌声」だと思っている/いた。
あの頃の歌声は"甘栗期"特有のもので、年月が経ち姿も立場も変わった今では、もう二度と聞けない声なのだと。そう思っていた。
それでも、「いつかまたあの歌声に触れたい」と思わない日々は無かった。



だから、「カンタービレ」をきいたときに、どうしようもなく涙があふれてきた。
「希うほどに会いたいと思っていた人に会えた喜び」

「勝手に名前を付けて本人から切り離して考えてしまっていた後悔」
の両方の感情がごちゃ混ぜになって、嗚咽交じりの涙として出力されたのだ。

私が勝手に"甘栗期"と呼んで「今はもう会えない」と自分勝手に決別していた人の声が、今の輪郭を伴って聞こえてきた。
探して求めていたひとは、消えたのではなくて、絶えずずっと貴方の中にいたのだとようやく気付いた。



2018年、KAT-TUNが再始動した際、上田さんはラップを担当することになる。
それからの楽曲では甘い歌声は鳴りを潜め、今まで以上に鋭く深く強い歌声が多くなった。
それはソロ曲でも変わらず、外部に楽曲を委託することでより自身のイメージを強固にしていったような気すらしてくる。

だからこそ、3人体制も4年目に突入し盤石な体制となってきているいま、上田さんがカンタービレを自身のソロ曲として届けてくれたことを噛みしめている。


グループの楽曲ジャンルも更に多岐にわたり、上田さんがラップ詞を書き下ろした楽曲も多くなった。
様々な経験を積んだ上田さんが作詞した「カンタービレ
貴方が見せたいと思って提示してくれたこの曲の輪郭を、なんどもなぞって、なぞって、不意に浮かぶ懐かしさにそっと思いを寄せる。
途絶えてたと思い込んでいた軌跡は、確かに今日へと続いていた。
貴方が本来持つ甘い歌声と、創り上げられた強いラップがあることで完成する歌だ。
ひとつの曲の中にふたりいるんじゃない。甘くとろける歌声も鋭く深いラップの歌声も、それぞれが上田さんが持つ側面で、貴方を構成している大切なパーツだった。

あの日、さよならを告げたはずの貴方は、確かに今を生きている。



先日、KAT-TUNがレギュラー出演してる番組の公式アカウントからこんな言葉が届けられた。



20年以上共に歩んできたメンバーから贈られた「四季がある男」という言葉は、過去に答えをくれた気がした。
今までキャラ変によって様々な姿を見せてくれたあなたは、どれもあなたで。ただ見せてくれる季節が違うだけ。
その言葉の美しさを、この曲によって改めて感じている。



カンタービレ
意味:歌うように、表情豊かに

春を歌う貴方の歌声に、沢山の色彩を見る。

四季彩ある貴方は美しい。
どうかこれからも、様々な季節の貴方が見れますように。
桜舞う大阪城ホールで聞ける日を心待ちにしているファンから 愛をこめて

*1:2007-2011年の上田さん